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2022年7月25日 (月)

近況報告②ーとにかくヤッテみょうよ!

 ずっと自宅で己の恥多き人生を振り返っている。人生の転機は68年に今村昌平監督『神々の深き欲望』(日活)に夏休みに参加したことだろう。
 長岡高専から67年に早稲田大学文学部に転学したことも、大きな転機だったが、映画の現場で多くの役者やスタッフにもまれたことも、それからの人生を決める契機となった。現場は役者、現場スタッフがぶつかる主戦場であった。特に三国連太郎は芝居の世界を通り越し、神懸っていて、これが役者かと、撮影現場で驚いたことも事実である

 そんな癖のある役者やスタッフ約40名を引き連れ、少ない予算の中で、1本の映画を生み出す今村さんの力も普通ではなかった。撮影後半、製作資金が底を尽き、全員1日1ドルだけを貰って生活していた。もちろん、役者もスタッフもみんなブウブウ文句を言っていたが、そこを今村さんはねじ伏せ、とにかく封切り日に間に合わせた。全員文句があるのは1日1ドルの生活費だけではなかった。今村さんと主演沖山秀子が夜な夜なSEXをしていたからである。

 当時、石垣市の女郎屋ではチョンの間(1回限りの射精)で3ドル50セント(1260円)。1ドルでは相手にもされない。B級役者や照明部、制作部の若い衆の不満が日々溜まっていくわけである。団交まで行きかけたが、それを止めたのが殿山泰二というベテラン役者だった。近代映協で新藤兼人と「裸の島」という低予算で映画を作ってきた殿山は自分の貧困な体験を詳らかにし、若手を説得した。

 殿山の説得もあり、撮影中止だけは何とか免れた。映画もようやく、完成した。でも、責任者今村さんとしてはつらい現場だったと思う。以後、『復讐するは我にあり』(75 松竹)まで、7年以上も劇映画を手掛けていない。
 1本の劇映画を完成させるには、長期間の時間拘束、多くの役者、現場スタッフ等の人手が必要なのである。それを束ねられるのは、今村さんみたいなカリスマ以外、不可能だろうと思う。

 ボクのような非力、軟弱な男には、劇映画を作ることは無理なことである。でも、同じ映画でも、ドキュメンタリーだったら監督と撮影、二人いれば最低限作れる。予算も10分の1以下で出来る。ちょうどその頃、小川伸介監督「三里塚」シリーズ、土本典昭監督「水俣」が公開され、今まで問題にもされなかったドキュメンタリーがにわかに脚光を浴びるようなった。ボクはその波に乗って、ささやかに71年「生きる―沖縄渡嘉敷島・集団自決から25年」でデビューした。まだ大学4年生の時だった。

 封切り日は18人しか、客を呼べなかった。大学を出てから婚約者に資金を出してもらい、沖縄宮古島で撮影した『みやこ』(16ミリ白黒)も、ロバート・フラハテイ「アラン」の影響を受け、自信たっぷりに封切ったのにもかかわらず、興行は惨敗。ボクが5本も監督して、未だに客が呼べるのは、ボロボロの8ミリ映画『沖縄のハルモニー証言・従軍慰安婦』(79)だけである。客は16ミリのクック(英国製)レンズで沖縄の海を鮮明にとらえるシーンよりも、沖縄南部のサトウキビ畑の片隅に隠れるように棲んでいる元朝鮮人慰安婦の方を見たいのである。

 『神々の深き欲望』の時、一緒に汗を掻き、今村さんの無茶な指示に振り回された現場スタッフは、誰一人として監督に昇進していない。先輩であるセカンド助監督武重邦夫さんも劇映画の監督まで行かなかった。また、2年先輩の優秀な兄貴分も、吉田喜重監督『煉獄エロイカ』で助監督に就いた後、業界に見切りをつけ、早々とフランスベッドに就職したらしい。唯一人、長谷川和彦だけは劇映画2本監督し、それなりに評価されたが、傲慢な性格で、現場スタッフから総スカンくっている。二本目を出してから40年以上経っているが、いまだ作れていない。
 むしろ、ドキュメンタリーの分野に今村さんの流れは確実に受け継がれている。一人は『ゆきゆきて神軍』の原一男である。この映画は原案が今村さんである。もう一人がボクである。今村さんのネチッコイ取材方法-『からゆきさん』『未帰還兵の記録』が象徴ーは間違いなく書き下ろし『じゃぱゆきさん』等に影響を与えている。特に被差別部落が、棄民の根底にある、ということをボクは学んでいる。

 20歳の頃、三国連太郎、今村昌平、それに先輩たちに揉まれたことが、ボクのその後の人生を決定した。だから、多くの若者たちに薦めたい。「多少、ヤバいことがあるが、これだ!つて思ったら、賭けてみよう」。

 

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