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2022年6月17日 (金)

越中源氏-「走馬燈 女達の深き欲望」-デッサン⑦

 最後に自分は何だったのか、書いておきたい。結局、女たちにとってボクは「踏まれ石」「都合の良い男」ではなかったのだろうか?もっと上の世界へ行くための、自分の欲望を満たす存在ではなかったのだろうか。例えば、映画『沖縄のハルモニ』を作り、朝日新聞で紹介されてから、全国の大学、市民サークルからの上映依頼が殺到した。映画上映後、30分前後、客に話をし、希望者に名刺を渡すと、半月後に女性客から電話がかかってくることがよくあった。ボクとの出会いが、上京のきっかけになったようだ。ボクの下井草のアパートを根城に動き回り、そして渡米したり、東京で就職したり、それぞれが羽ばたいていった。

 また、80年代にカンボジア難民を取材に、国境の町アランヤプラテート(タイ)で滞在していた時、NGOの女性日本人スタッフとよく会食していた。いったんレストランを出て、宿泊先のホテルへ戻ったところ、コン、コンとドアが叩かれる。ホテル内と言えども、治安が極端に悪いので緊張して、「誰」と聞いてみる。「わたし」と屈託ない返事が返ってくる。つい5分前まで食事をし、酒を飲んでいた大学を出たばかりの女性ではないか。新宿西口の行きつけの飲み屋「壺屋」の常連で、癖の強いおばちゃんの話で盛り上がったところだが、こんな夜遅く、危険なボクの所へまで押し寄せるとは想像だにしていなかった。よほど溜まっていたのか、1回抱くだけで、また宿舎へ戻っていった。
 
 女の人を、特に「性欲」を無視したり、軽視したりすることは女性の全体像の半分を見ないことになる。女性も「性欲」は漲っているわけだし、折あらば、いい男と「まぐ合いたい」と密かに思いめぐらしているのである。いくらブサ面でも、貧乏でも、女性たちが引かれる何か魅力があればよい。今村監督にしても、斎藤茂吉にせよ、決してイケ面ではないし、今村さんはデブで、斎藤茂吉は異様なほど体臭がきつかった。それでも、女に惚れられるのは、作品群があったからである。
 女たちが体を開いたのは、彼らが作った作品への「あこがれ」「尊敬」が根本にある。翻って、ボクのような吹けば飛ぶようなB級監督、書下ろし作家に身に余るほどの女性たちが寄ってきたのも、作品が面白かったからだ。

 特に前のかみさんと別居してから、笹塚の我が家へ様々な女性が訪れた。JALのスチュアーデス、聖心女子大で学んでいたTVデレクター、某大新聞の記者、看護士等、すべては覚えていないが、その根底にあるのは「パートナー探し」である。30歳前後の彼女たちは必死に男を求めていた。その候補の一人に最初は挙がっていたが、やはり将来性が問題になり、次第に疎遠になる。
 そのうち、荒淫が祟って倒れたが、唯一残ってくれた「カンボジア難民支援」NGO職員の現在のかみさんに救ってもらった。

 もう、お迎えが来るのは時間の問題だが、最後に行っておきたい。もちろん、「晩節を汚すな」と連呼する級友赤岩君に怒られることは百も承知だが、あえて死ぬ前に残しておく。

 男の喜びは「女に愛され、女を愛すこと」だが、最大の歓喜は「愛する女の『女性自身』へ射精する」ことではあるまいか!

 

 

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